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スロー・デス・カフェ in casaそら

スロー・デス・カフェ in casaそら

台風が虹を置き土産に吹き抜けたあとの晴れ間、さわさわといい風が吹く昨日の午後、上野さんとぬんさんをお迎えしスロー デス カフェを開催しました。

お迎えの車の中で上野さんが「今日はね、お家(casa そら)を中心に置いて、死を考える話しをしようと思う…」ふむぅ〜、さすがです。
わたしのたどたどしい説明を聞いて、汲み取って内容を組み立ててくださってました。

『死』と言う概念の話からはじまり、ご遺体の取り扱いについての日本だけの常識、また、地域包括ケアについて、大切なひとが終末を迎えるときに家族はどう向き合う?、また大切なひとを送ったあとにもたらされる豊かさなどなど、用意した3時間があっという間に過ぎてしまいました。



途中、どうやって死んでいく?どんな『死』にまつわる経験をした?など、他の参加者とシェアしたりぬんさん誘導で死んでみたり…笑

偶然のご縁で集まってくださった方々と、ある意味タブーとされる『死』について語り合い、『死』を通じて『生』を考える時間、ぎゅっと親密に結ばれて。会も終盤、夕空に淡くまあるいお月さまが浮かびあがりました。

同時に上野さんが満月が近い夜だからと、一編の詩を紹介してくれました。

月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛(ほう)れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

中原中也が幼い息子を亡くしたときに書いた詩です。普段当たり前にあるものを亡くしたとき始めて当たり前だったものがとても愛おしいものと知る…
切なくて美しい。

今回参加したわたしたちひとりひとりがほろ苦い想いをそれぞれの世界に持ち帰り、大切なひとたちと向き合うことで、四角張ったものがお月さまのようにふんわりまあるくなっていくかもね…などと考えながら。
生きている実感とともに、生きている時間をたっぷり味わいながら生きていこうと思うのです。

上野さん、ぬんさん、ありがとうございます😊

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